私が借金500万円を抱えた経緯-後編

2018年1月27日

借金で危機的状況になる

この頃、はじめて消費者金融に手を出しました。○コムでした。「○じん君」でしたっけ?無人契約機。まあ、かんたんに貸してくれました。やっぱりね、生身の人間と対面しないということがだいぶハードルを下げていますよね。それほどの後ろめたさは感じないで借りれたと記憶しています。実際には、機械の向こうには生身の人間がいるわけなんですけどね(笑)。

最初の限度額はたしか50万円だったと思いますが、1年もすると150万円までになってました。「限度額あげられますがどうしますか?」なんて言われるとね、「はい」って言っちゃいますよね・・・

あと、この頃に出来た○ビット。新規顧客を広げたいんだろうなってんで、狙って審査に出しました。案の定、OKでした。27歳ごろには、債権者は保証会社(車のローンです)除いて4社、債務額は200万円ぐらいあったと思います。

やっと自分の状況を認識し始めた

この頃ですね、ヤバイかもしれないって感じ始めたのは。ずいぶんと遅いわけですが、ようやく自分の状況の悪さを認識し始めたんです。そんなヤバいと感じ始めた頃、親の体調の事情で一人暮らししなければならなくなったんです。

以前から一人暮らししなければなって感じていたんですが、借金払ってそれはできないって。でも、そうしなければならなくなって、余計に危機感を感じていました。

実際にしていくと、やはり相当生活は厳しくなりました。これまでの「貯金」は底をつきはじめて、新しい「貯金」の確保が必要でした。

ひとり暮らしの郵便ポスト

やってることがめちゃくちゃな時期

で、○ロミスでカードを作成。この頃になると、審査に通るかどうかがもう心配で、申し込むときは胃がキリキリしていました。

ギャンブルで借金返済しようとするが・・・

同じ頃、競馬で借金を返していこうという、何というか、今の私では考えられないキテレツな案が浮かびました。ですからね、結構、研究したんですよ。競馬新聞とか研究本なんかでね。

安くないお金を出してよくあたる(と噂の)予想屋の出す馬券を買ったりして。当時は、後楽園や立川の場外馬券に行ってよくつぎ込んでました。競馬って、よく言われることですがトータル的に儲かる人間はごくごくわずかだと思いますよ、ホントに。そんな私も、勝つレースだって何度かありましたからね。それで調子に乗ってしまうという

ロトやナンバースの研究もしましたよ。 もちろん買わないと当たることはありませんが、これに借金返済を賭けるにしてはあまりにも 当選率が低いですよね。

ロト6の予想をする男

結局ね、当たり前なんですが、借金を返済するどころか、逆に借金は増えました。もうこの頃は、明日の生活どうしようってな状態でしたよ。親には申し訳なくて相談なんて出来ませんでしたし、友人にも彼女にも話せませんでした。

ついに借金500万円。そして、任意整理へ

つまり、私一人で悩んでいたんです。2002年の正月明けあたり、借金総額が約500万円になっていたんです(この事実は後で分かりました)。

この当時の私の年収は、確か、600万円前後だったと思いますが、手取り額にすれば、500万円は完全に年収を超えた借金です。普通ね、借金なんて年収の3割がリミットなんていいますが、私の場合、リミットの3倍超の500万円です。

この頃は、完全にパニック状態です。当然、正月どころではありませんでした。普段から、動悸が止まらないんですよ。借金のことを考えると、余計激しい動悸が襲うんですが、考えずにはいられないんですね。

これでは、借金が増える一方だ、というか、破滅してしまうと思っていました。今だから言えますが、借金を抱えて自殺する人の精神状態ってこういうのかな、て分析なんてしていましたね。

返済期日が過ぎているのが2件くらい、携帯に電話が来ています。家の留守電にも入っています。限界を感じています。そして、このすぐ後、10日後ぐらいですか、新規のカードローン審査に落ちたところで限界が来ました。自殺しようかなんて一瞬よぎりましたが、思い止まり、たまりにたまった借金を返済する決心がつきました。
私の任意整理体験談-借金498万4920円からの債務整理の記録